街角のアマテラス

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西区・京町堀にいた頃、ほぼ毎日休憩に行っている事務所近所の喫茶店に、80歳半ばのひとりの老人がフラッと来ました。

首からカードを下げて、そこには緊急時の電話番号が…

カウンターの端に座り「アーウー」と何を言ってるのかよくわからん。
次の日も喫茶店に来ましたが
「アアア、ウ?」
ホンマ何を言ってるのかわからん。
ほぼ半日ぐらい店に居た。

重く暗い、気難しい雰囲気
チャックの前が全開やん服装もだらしない
徘徊老人?ボケてるような感じもする。

近辺はビジネス街なので
普通はこんな客どこもアウトですわ。

後日知りましたが、他では嫌がられて行き場が無かったんです。

でも、この店のママは若いのに
老人に面倒や嫌な顔を見せない。

店はとても流行っているから忙しいけど
さりげなく気遣いをしたり、話かけたり…

じいさんは誰でもだいたいワガママです。

そのうち、おじいさんが持ち込んでくる果物を切ったり、餅を焼いてあげたり、鼻毛も切ってあげたり、反面ワガママが過ぎると叱ったりもしていました。

ほぼ毎日、紅茶1杯で4~5時間

閉店までいるのは良いとしても、きまぐれに閉店後にやって来た時なども、足が悪く、歩くのがとても遅いおじいちゃんと近くまで一緒に帰ってあげたり

そういう日々を繰り返すうちに
おじいさんに変化があらわれました。

話しかけると受け答えもするようにもなり
昔に会社経営してた頃の話、戦争の話など自分から話をすることもあった。

服装も昔のブレザーや靴を引っ張りだしたんやろね?

見るからに小ざっぱりしていき、以前と違い、頻繁に見せる嬉しそうな顔や
楽しそうに声を上げて笑い、他の客とも普通に挨拶を交わす。

おじいさんにとって、楽しい日々が続きました。
多分、ママに恋していたのやろネ

御堂筋の大ガスビルまでのデートが嬉しそうでした🥰

ところが事情で店が閉店することになってしまった。

ここは人情です。

毎日のように来て、店のケンタッキー・カーネルサンダース像のようになりつつあるおじいさんに、ママも中々閉店を言えずにいました。

閉店を知った日…😮🥵

おじいさんは、ずっと無言のまま寂しそうに帰って行ったらしい😣

そして次の日から、お店に来なくなりました。

おじいさんは指が自由に動かず電話が出来ないので、電話機も持っていない
また何故か住所は言わずだったので

「高齢だけに何かあったんでは?」
「うろうろしていて、車に撥ねられたのでは?」
皆心配しますよ。

そして、いよいよ最終日、
常連さんから花束やプレゼントが届いたり
名残を惜しむ客が入れ替わりしていて
いつも以上に賑わっていた。

そんな最終日の午後、店の前にタクシーが止まり
「あっ!」ヒョコヒョコおじいさんが降りてきました。

「どうしてたん!みんな心配してたんやで」
とママが聞くと、

申し訳なさそうにボソボソと
「お別れ会の店を
いろいろと下見に行ってた」…。

そら、驚きましたわ😮

そんな事を考えていたんですね
「店のお別れ会」を開催して
自分が仕切るつもりだったんです。

次の日、おじいさんが予約していた
西天満の鰻料亭
”志津可”に行きました。

そう言えば、だいぶ前に私と食べ物の話になった時、おじいさんの耳元で
「そら、やっはりうなぎでっせ」
ささやき続けた「うなぎのコース」です。

「カチャカチャカチャ…」震える手でビールを注いでくれました👤

底を拭いて、水滴が落ちないようにラベルを上にして、両手を添えて…
いにしえのお手本通りの接待です。

おじいさんを肴に談笑しながら、ママと私と店員さん😉

4人で共に楽しいひと時を過ごしました。

ここも流石です。
レジでごちゃつかないように、先に勘定もすませていました。

帰りは雨だったので、おじいさんをタクシーで送りました。

送る順番もいにしえの接待です

自分は最後まで乗って行くといって聞かない。

何とかウソをついて家を聞き出し、玄関まで送りました。

すでにヘルパーさんが家に来ていて、そういう事を知られるのが嫌だったんでしょうね。

確かに介護は大事だけれど、老人になったとて
すべて人の世話という訳にはいかない。

おじいちゃんは、自分から出歩くことで
ママや他人と出会い
新しい友だちもできた。

高齢者の記憶は、少しずつ消えてゆく😑

でも年齢という枠を超えて
人は例えひと時でも…復活するものだと!